2022年夏、三夜にわたってお届けするこの3本の記事は、2022年8月に上演した「リーディング&ミュージックライブvol.2 少年と影の国」のために、原作「The Boy in the land of Shadows」からインスパイアされて私が書き下ろした、オリジナルエピソードです。 Ⅱは、上演時にはカットしたエピソードです。ぜひお楽しみください。
Ⅰ 逆さまの女
Ⅱ 耳くらべ
Ⅲ 愛の隙間
少年は、ある凍える春にこの世を旅立ってしまった妹を連れ戻すため、見も知らない「西の国」へと旅をしている。妹と二人きりで暮らしてきた家を初めて離れた彼は、「村」というものを目にし、そこで様々な人々と出会う。
Ⅱ耳くらべ
それから少年は、右耳だけを使う女と左耳だけを使う男の双子にも出会った。
ある日、少年が鹿を追いかけていると、目前を矢が鋭く横切り、鹿を捕らえた。鹿は、少年にとって4日ぶりにありつけそうな食事だったので、この矢の主に少しだけ肉を分けてもらおうと、倒れた鹿のもとへ少年は駆け寄ろうとした。そこへ、喉を裂くような鋭い歌声を轟かせて現れたのが、この双子だった。
少年は二人に話しかけた。
「突然のご無礼をお許しください。僕は旅の者ですが、ここ数日食事をできていません。もし良かったら、その鹿の肉を少しだけ分けていただくことはできませんか?」
振り返った男女は、丸い輪郭と切れ長の目が瓜二つだった。男は、縁飾りのついた帽子を右にかしげてかぶり、女は同じ帽子を左にかしげてかぶり、それぞれ右耳と、左耳が隠されていた。
「悪いね、それはできない。」
女が答えた。
「これは、私たちが捕らえ、祈りをささげた鹿だ。だから私たちは鹿の命に責任がある。それを中途半端にしてあんたにやったら、鹿の命を冒涜することになるだろう?だけど、この先の林へ行けばいくらでも鹿がいる。自分の力で捕らえなさい。」
すると男の方が今度は口を挟んだ。
「悪いが、それはできない。このあたりは俺たちの村人が祈りを捧げておさめている場所だ。村人なら誰でも自由に狩りができる。だが、よその者に許すとなったら、それは村全体を冒涜することになってしまうだろう。ん、少年、この鹿の肉を分けてやるよ。これは俺たちが得たものなのだから、べつに俺たちの判断で分ける分には問題ない。」
すると女は、
「だめだって、兄さん、この鹿は、私たちが先祖から受け継いだ道具や技術があったからこそ捕らえることができたんだよ?伝統を守り、先祖への感謝の印として家庭に糧をもたらすのが私たちの責務。血のつながりもないこの男に鹿を手渡せば、最終的には、兄さんの言う村全体への冒涜にだってなってしまうんだぞ。」
すると男は、
「いや、や、お前の言っていることは分かるよ。じゃあ、あ、こいつが村人になったらどうだ?俺たちのしきたりを守るとこいつが誓うなら、こいつは村人になり、この肉を分けるに値するだろう。」
すると女は、
「兄さんの言っていることは分かる、でも、同じようにしきたりを守ったところで、よその者はよその者。どうしてもこいつが村人になりたいというのなら、少なくとも私たちの神に身を捧げなければ。お前、すべてを捨てて、私たちの神に付き従うと誓うんだったら、お前のための肉は、神からきちんともたらされるだろう。」
すると男が、
「うん、や、確かにそうだな。おい少年よ、お前の持っているものをすべてここに出せ。すべてここに捨てていけ。そうすればお前は俺たちの村の人間になる。だから、この肉を分けてやろう。」
さらに女が、
「そう、お前の言葉、お前の血、お前の神をここに捨てなさい。お前をお前たらしめている者を捨てなさい。そうしてお前は私たちの村人になって、神から肉が分け与えられるだろう。」
と今度は、少年がすかさず口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。すみません、すみません、あの、僕はあなたがたの村の住人になるつもりはありません。僕は旅の者です。西に向かっています。僕が言ったのは、お腹が空いて、眠ることもできない、僕がお願いしたのは、ほんの一齧りの肉、ただそれだけなんです。」
少年がそう言って笑うと男は返した。
「なんだって、肉を齧り、この場所で眠ろうというのか?ここでな、お前がぐっすり眠れるのだって、俺たちが日々この地を守り、整えているからこそ。獣に襲われる心配がないのだって、俺たちが秩序を保って狩りをしているからこそ。お前がどう言おうと、お前はもう俺たちの村に関わっている。」
女も返した。
「そう、だからお前はすべてを手放さなければならない、だけどその見返りとして私たちの神の庇護という揺るぎない柱が得られるのだぞ。さあ少年よ、お前をお前たらしめているものをすべて差し出せ。」
あまりにも激しく詰め寄られた少年は、仕方なく荷物をほどき双子に見せた。少年の荷物の中にあったのは狩の道具と、眠るときに使う敷物だけであった。
男は鋭く少年を睨んだ。
「これでは不十分だ。」
女も睨んだ。
「不十分だな。」
少年は二人の目を見つめ返した。
「僕の持っているものなんてほかに何もありませんよ!…幼いころ両親は死んでしまったし、共に暮らす親戚もなく、妹と二人きりで生きてきたんです。そんな妹だって、この間死んでしまった。僕はほんの一齧りの肉を頂きたかっただけなんです。でも、変なことを頼んだ僕がいけませんでしたね。もう僕は行きますから、どうぞ僕の言ったことは、全部忘れてください。」
少年が荷物をまとめ始めると女は少年の前に立ちはだかり、彼の腕を掴んだ。
「そんなふうにいくわけないだろう。お前は、大地から恵みを狩るばかりで、大地に何も施していない。」
男も少年の腕を掴んだ。
「そう、そんな者に生きる価値はない。」
少年は、この双子にいい加減うんざりしていた。双子の言うことは互いに反しているようであり、だが同じことのようでもあり、少年の言葉なんて、双子には届いていないようだった。少年は二人の手を振りはらった。
「僕を僕たらしめているものがあるとすればそれはたった一つ、死んでしまった妹との思い出。思い出を手放せば、僕に構わず行かせてくれますか?」
男は唸った。女は、男の目を覗き込んだ。
「どうする、兄さん?」
「まあいいだろう。自分を自分たらしめているものを手放すというのなら、大地への見返りとしてはなんとか事足りる。」
そのようにして双子が承諾の意を示したので、少年は内心慌てた。妹との思い出を手放す?一体どうすればそんなことができるのか。少年は、ひとまず女の横に立ってみた。
「では、あなたは僕の妹役をやってください。まず、その帽子を脱いでくれますか。」
女は、少年に言われるまま帽子を脱いで、それから少年は今度は男に向かって言った。
「あなたは僕の役です。あなたもその帽子をとって、僕の、この、妹の前に立ってください。」
男も少年に従い帽子を脱いで、女の前に立った。
少年は、男の手にある彼の帽子を指さして言った。
「この帽子は、僕と妹との、思い出です。僕は、その思い出を妹に返します。」
少年はそう言うと女を指さしたので、男はそれに従って自分の持っていた帽子を妹の頭に被せた。それから少年は、今度は女の傍らに立って彼女の手にある、彼女のほうの帽子を指さした。
「これは妹が僕を想う気持ちです。僕は妹の愛によって生きていますが、妹はそれを手放してしまいます。さあ、その帽子をお兄さんに返して。」
女は、少年に言われるまま自分の帽子を手放して、兄の頭に被せた。
「さあ、えー…これで、僕と妹との絆はなくなりました。僕を僕たらしめているものは、この世から何一つなくなりました。いいですか?ご納得いただけました?それじゃ、これで失礼いたしま~す。」
少年はそう言って逃げ去ろうとしたがその時、双子の顔を見て仰天した。双子が、その細い目からぼろぼろと涙をこぼし始めたのだ。
「大丈夫ですか、大丈夫ですか?!」
双子は答えず、ただ首を振り、それから互いに抱きしめあった。双子は、何かを囁きあっていた。走り去ろうとした少年はしかし、どうしたらいいかわからなくなったので、仕方なくそこで火をおこし、とりあえず二人のために鹿の肉をじっくり焼いてみた。ついに男が涙を拭い少年に向かって言った。
「俺は、お前の妹の思い出を手放すとともに、俺の妹との思い出さえ手放してしまうような気がした」
女も続けて言った。
「兄さんに帽子をかぶせたとたん、私の中にあったはずのものがなくなったようで、体が空っぽになってしまった。」
二人とも涙を拭い、ぐっと口をつぐんだ。少年は、双子の肩を優しく撫でた。
「きっとお腹が空いたんですよ、この肉、食べますか?あぁ、この鹿は、あなたたち二人が協力してとった鹿。あなたたち二人が、繋がっているんだということを証明してくれる鹿です。僕が切って焼いたから、僕とお二人との絆も、証明してくれるかもしれませんね。」
双子は、少年に言われるまま鹿の肉を食べた。黙々と食べて、何一つ言葉を発さなかった。
食事を終えた双子は立ち上がった。
それから、木の棒で地面に一本の線を引き、その両側に双子が立った。男が言った。
「少年よ、俺はお前の役。それからこの線の向こう側にいる俺の妹は、お前の死んだ妹の役。」
「この先、お前とお前の妹はこんなふうに、」
と双子は、二人で腕を組んで、地面の線の上に足を置き、踊るように体を左右にねじって二人の足で線を消していった。双子は言った。
「境界線が、なくなっていく。」
「…僕も、そうなることを願います。」
少年は、二人に肉の礼と別れを告げて、また西へと旅立っていった。
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原作"The Boy in the Land of Shadows" について
カナダに伝わる様々な民話を、カナダの教育者/作家、サイラス・マクミランが採取したものが"Canadian Fairy Tales"としてまとめられ、1922年に出版されました。作品はすべて著作権の失効した文献として、プロジェクト・グーテンベルグのウェブサイトに掲載されています。
原作は、以下のリンクよりお読みいただくことができます。