これが禊というものか

これが禊というものか

2022/11/20

32歳になりました。
ここ数年、とてもありがたいことに誕生日周辺は必ず現場に入っていたのですが 今年は一人暮らしを始めてぶりに、なんと実家でバースデーを過ごすことに。 で結論から申しますと、正月のような誕生日でした。
というかまあ、そんなふうになるように、家族が仕向けてくれたのだと思います。
「レオポルトシュタット」というお芝居にでることが決まったとき、 ちょうど祖母の墓参りが重なったので、私は(ほとんど初めて会う)祖母の親戚たちに 「家系図」を書いてもらいました。 名前さえ聞いたことのなかった母のいとこたちが次々に現れ、母が小さかった頃のことや祖母のきょうだいのこと、誰も存在を知らなかったもう一人の女きょうだいの話に花を咲かす。ジャズ喫茶にスイングにチャールストン、国鉄が大好きだった戦死した大叔父さんや、人が良く、女好きの曽おじいさん。台本で読んだようなシーンが目の前で展開し、あの時はもうただそのことに興奮したけれど、今こうして芝居を終え再び家系図を見返すと、ここにある からだ に既に沢山の歴史が宿っているということを突き付けられ、恐ろしささえ感じます。
で、やっぱりそんな芝居に出ると、家族というものが大切に思えてくるのです。
それは、腐臭のする母性神話や、愛国主義と結びつくような家庭礼賛とはまったく違う次元で。そうではなくて、ままならないお互いを、放置し合える存在として。
ケーキを買って実家に帰り、冷蔵庫に入れ、お気に入りの公園を散歩し終わってまた戻ると、母から「弟氏、なにか考えてるみたいよ」の一言。 言われてリビングの戸を見ると、独特の筆跡で「marissa guth happy ××(判別不可)コンサートやります」と書いてあるではありませんか。
(両面テープを片面貼りする大胆さがまたオツである)
さらに、その上にはもう一枚紙が貼ってあって「開演7:00」とある。(漢字が全然ちがっちゃってるんだが)

さらに、(これもらって帰ってくればよかった)ダイニングテーブルには、コンサートプログラムと思わしき手作りの冊子が置いてあり、そこには私がかつて心酔したミュージカル『RENT』の曲が、全曲リストナップされているのです。
(A席とB席があるらしい。分かれて順番とのことだが、これは分散退場の影響を受けてのことだろう)
そう、弟氏は、なんとわたしのためにRENTの様々な曲を披露してくれたのでした。
謎の客入れアナウンスはひどく長い上たぶん5回くらい繰り返してたし、肝心の楽曲は弟氏のmp3プレイヤーで流しててイヤホンをしている弟氏にしか聞こえず弟氏のあやふやアカペラだけ味わうことになったし、なんか皆4曲目くらいには飽きてしまって視聴率もすごく低かったけども、でも、弟氏は曲の合間合間に、家族たちに「お姉ちゃんへのメッセージ」なるものをしゃべらせ、私はそのたびに家族たちに祝福され、叱咤され、激励されたのです。なんなんこれ、めっちゃ贅沢じゃん?
そのあと、母は私が小学生のころ描いた絵や夏休みの宿題をどこからか掘り出してきて、我々に見せてくれました。これまた目も当てられないようなシロモノなんだけども、発見もある。自分が初めて喋った言葉は「きれい」だったと改めて知ったり、当時の自分はかなり一生懸命絵を描いていたことを知ったり、そのときはまだ演劇のエの字も知らなかったくせにちゃんとステージパフォーマンスに感動したエピソードが書かれていたり。これまた、レオポルト~~に出てくる「抑圧された記憶」というやつです。知っているはずなのに、覚えていない。思い出せない記憶。
でもね、更にそのあとなんです。
もうこれ、詳しくは書けない、本当に書けないのですけども
私の母が引っ張り出してきたあるブツによって、私はお焚き上げといいますか、禊といいますか、この二十年近く引き摺っていたトラウマの栓がプシュ~っと抜けて、干からびたへその緒みたいにちっちゃくカラカラになる、そんな体験をしたのです。
具体性がなさすぎて何じゃらほいですね。すいません。
でもね、自分が生きる原動力にしていた<怒り>みたいなものが、もうただただ、滑稽と呼ぶことさえできないような、<茶番>に変貌してしまったのです。
そんなことって、よくあるものなのでしょうか?
ある時間が経って、昔怒っていたことや悲しかったことが、「大したことない」と思えるようになることってあります。「あの人も人間だもんな」と許せるようになることもあります。
でも、なんだか私のこの禊体験はどちらかと言うと「拍子抜け」みたいな出来事でした。
私はたぶん、もうちょっと、壮大で、美しいことのために怒り、悲しみ、苦しんだ、ということを期待していた。だけど、私の怒りなんて、便所のちり紙に書かれたよもやま話(そんなものがあるかは知らない)に火が付いただけ、みたいなものだった。
母は、もう何の役にも立たないこのブツを一度は捨てようとしたのですが、祖母に止められたのだそうです。「絶対に捨てちゃだめ。万里紗にいつか見せないと。何か聞かれたときに」そう言って。
31歳最後の日、私は本当に怒り続けていたある人に対して、もう許すよ、と言いました。 それから、これまで許さなかった私を許して、と言いました。そうしたら、翌日の誕生日、こんな体験をすることになったのです。まるで、見えない何かの力によって、あの<許す>という言葉への返答が来たかのように。私がそうきちんと言える日が訪れるのを、誰かが待っていたかのように。プロスペロー?!
「はじめに言葉ありき」
ままならない、本当にままならないから、家族に対して素直になるのはすごく難しいです。 とりあえず、パソコン壊れたときに母に借りたままのウン万円を、いいかげん返金しようと思います。

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