痛いのと嬉しいのと

痛いのと嬉しいのと

うちの父は、よくウインクをする人でした

2022/4/9


しばらくご無沙汰いたしました。
先月末まで、“理性的な変人たち”というユニットの「オロイカソング」(作:鎌田エリカ、演出:生田みゆき)という舞台に出演し、そのままの足で新国立劇場「アンチポデス」の現場に合流しておりました。
「オロイカソング」は本当にありがたいことに、多くのお客様に愛していただける作品となりました。出演者は、「女性」5名。作家も演出家も「女性」です。
子どもの頃性被害を体験した「倫子」とその双子の妹「結子」。
彼女たちの道がどのように分かれていったのか、どんなことをお互い言えないまま育っていってしまったのか、彼女たちの母、祖母含む家族の歴史と、それを取り巻く社会環境と共に紐解いていく、そんな物語で、 解決の糸口が見えない世界のありようを、解決できないまま、“裸”で提示したような作品でした。

↑配信も見られます

私自身、倫子と同じ年代の6歳のころに、知らないおじさんに路上で痴漢を受けたことがあり、以来「「男性」に性的に欲望される身体」「「男性」に眼差される身体」として生まれた自分の身体と、どう折り合いをつければいいのか、うんざりするような体験を沢山積み重ねながら、混乱の10代、20代を過ごした記憶があります。
6歳の時は恐怖のあまり体も凍って声すらあげることができず、母にも祖母にも(勿論父にも)言うこともできず、溜まりに溜まった憎しみから、のちに高校生でまた路上で痴漢に遭った時は、(やっぱり身動きもできなかったけど)最後に振り返って、逃げていく犯人に向かって「馬鹿ヤロー!ふざけんな!てめえ絶対警察に言うからな!」と叫びました。(でも叫んでもちっともスッキリしなかった)
今でも覚えているけど、あの6歳の時、おっさんは、私の局部を触った後、私に向かって「ありがとう」と言い放ったのです。 父不在だった我が家で、私はその後「男性」についての健全な感情の整理をつけるきっかけもなく、グネグネした自意識のまま気付いたら20代になってて、恋愛市場に突然駆り出され、あの頃の思考はもう、カオスの極み。
でも年を経るにつれ、そういうつらいことも、それなりに「折り合い」をつけるようになってしまった自分がいます。あるいは、無意識のうちに折り合いをつけていて、後になって「あ、私つらかったのかも」と気づくことも。
オロイカソングを共に創った女性達は、みんな明確に怒っていました。自分のためにも、仲間のためにも、全「女性」のためにも怒っていた。その姿は本当に眩しく、かっこよかったです。そして、私にはもうあんなに怒れないかもしれないという畏怖の念さえ抱きました。それは多分、怒っても何も変わらなかったらどうしようとか、返り討ちにあったらどうしよう、なんていう恐怖があるから。あと、あの6歳のときに誰にも話せなかったということを、未だに恨めしく思ってるからかもしれない。(笑)
でも有難いことに、私は演劇という道具と巡り合うことができました。それによって、あんないやな経験が身体にこびりついていたとしても、それさえ栄養にしてやろうと逆ギレできる。
倫子も、もちろん性的なトラウマによって後の人生を大きく左右されることにはなったけど、「書く」ことと出逢えた。彼女は、「ただの」「被害者」じゃないし、「悲惨」なだけの人生を生きているわけじゃない。
生きる痛みと、生きる喜びという相反するものが、どちらも矛盾なく、偽りなく同居するのが人生だし、それをそのままのっけられるのも舞台ならではだなぁと感じるお稽古・本番の日々でした。
6歳のころの自分を振り返っても、別に忌々しい記憶しかないわけじゃない、本番を終えた今はそう思います。 そう、あのとき私が仲良くしてもらっていたのはHちゃんでした。
彼女は高い山の頂上に住んでいて、会いたければ薮だらけの林を掻き分け掻き分け登っていかなければなりませんでした。夕暮れどきになると1人で帰宅するのも結構怖くて、急な山道を駆け下りていた記憶があります。
でも、ときどきHちゃんが習い事に行く用とかで一緒に下山してくれることがあって、 そういう時は二人で「裏道」を通って帰りました。
山もそろそろ下りきる、というところに突如あらわれる「裏道」。悪ガキとして名を馳せていた同級生男子の家もありましたが、一旦左に折れてから表通りに続く明るいメインロードより俄然ショートカットです。そしてなにより、とびきり不気味な屋敷を覗き見できるというメリットがありました。
「ここ曲がって降りていくと、すごいの。」初めて裏道を案内してくれた時、Hちゃんはたしかそんなことを言いました。
ドキドキしながらついていくと、左手に何かが蠢く気配がし、大量の木の枝が擦れ合わさるような音、道の両側の家々に反響する「ココココ」という鳴き声が聞こえてきました。
「これ。」
言われて見ると、トタン屋根の家と赤茶色の小屋。小屋の表面には網が張られていて、その中で夥しい数の鳩たちがひしめきあっていたのです。
「鳩屋敷。この小屋で飼ってんのよ。鳩。」
クールなHちゃんは表情を変えることもなくそう教えてくれました。
あまりの鳩の多さに気圧された私は、鳩たちの機嫌を損ねるとなんかまずいような気がして、自分の気配を消すよう息を止め、その鳩屋敷の前をこそこそ通り過ぎました。
それ以来、何度かHちゃんとその裏道を行き、学年が上がったころには自分一人の足で鳩屋敷を覗きに行くようになりました。
気配を悟られないよう息を止め、鳩たちの様子を盗み見る。気付かれれば、彼らは主人を呼び出すだろう。柿色のマントをまとった主人は、老婆なのか老爺なのか見分けもつかないが、手にした箒を振り回して私を怒鳴りつける。「ウチの使い魔に何の用じゃ!」 そう妄想を繰り返しているうち、なんだか本当にそこの魔法使いの主人に怒鳴られたことがあるような気がしてきて、鳩屋敷の前を通るたび、罪悪感がどうしようもなく湧いてくるようになったのでした。
先日、久しぶりに母とこの「裏道」を歩く機会があったのですが、鳩小屋も、主人が住んでいたであろうトタン屋根の家もなくなっていました。あったのは、整備された坂道と、ガレージ付きの立派な家。 母に鳩小屋の話をすると彼女もやはりその存在を覚えていて、なんなら「うちのベランダにあそこの鳩が一羽迷い込んできたことがあったわよ」といいます。(全然知らなかった)
「普通鳩って、手紙届けるくらいだから、自分の家ちゃんと帰るじゃない。でも帰れなくなってたの。台風の日だったか、風も強くて。足に目印ついてたのかな、それ見てお父さんが、あの鳩屋敷の鳩じゃないかって言って、連れていってあげたのよ。」 ウチの両親というと、修羅場のシーンしか記憶になかった私は、そんなおとぎ話みたいなエピソードに驚愕。
しかも父がその鳩を連れていったら大変感謝され、後日鳩屋の主人が菓子折りまで持ってうちを訪ねたのだとか。
柿色マントの老婆か老爺が、亀谷万年堂のナボナを持って我が家を訪れる、という絵でもって補完された私の鳩屋敷記憶ですが、それは素朴な優しさを持った父の一面を思い出させてくれるものでもありました。 自然が好きで、子どもが好きで、優しさのあまり不安や苦しみを口に出すことができなかった彼だけど、 でもそういえば、だからこそ私がほんの少しでも不安を瞳によぎらせることがあれば、必ず気付いてウインクしてくれた。 「大丈夫。ちゃんと君のこと、気付いてるからね。」 気付いてれば解決できる、というわけでもないんだけど。 あのとき、私は痴漢にあったことをむろん父に言うことはできなかったし、父と自分の恋愛や性についてこの先の人生話すことがあるのか想像もつかないけど、ああやって、父が折に触れて「認識しているよ」とウインクのメッセージを送ってくれたことは多分、私が世界を憎まずに済んだ、一つの理由でもあるような気がしています。 し、倫子にとっての結子も、そういう部分があったのかななんて。
長くなりました。 もしよかったら、オロイカソング、配信ぜひみてくださいね。ご感想お待ちしております!

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