Painted by Gene
「あ、溶けた。」
何か月かぶりの二人での外出を終え、弟を母のもとへ送り届けて帰路についた途端、
私の頭に浮かんだ言葉はそれだった。
ここまで来るのに見たのと同じ景色を、同じ錆色の電車に揺られながら、逆方向に眺める。弟の出す発作的な音や動きを気にしてチラチラとこちらを見てくる人はいない。訝しげに睨んで、車両を変える人もいない。弟が、危険な人物ではないことをこの車内や、駅や、道端ですれ違う他者に示すため、笑顔で彼と話したり、しっかり寄り添って肩を組んだりする必要もない。
私は、「規格内」に溶けていた。
珍しく9時過ぎまで寝た先日、私は家に食糧が何もないことに気付き、近くのスーパーまで行った。朝食はシリアルかオートミール派だ。でもその日は、店内入ってすぐのところのパンコーナーに一人の少年がかぶりつきになって立っていたので、思わず私もパンコーナーへ吸い寄せられてしまった。
確かに、美味そうだ。だが、パンを取ろうにも少年がパンと相撲を取るがごとくがっちりとパンの正面を陣取っているので、いささかやりづらい。考えを変えて、裏のアジフライコーナーを眺めてみたが、朝から揚げ物はちとつらい。やっぱり、とパンコーナーに戻って、やや遠慮がちに少年の脇からクリームパンに手を伸ばした。と、少年が涼やかな瞳で私をまっすぐ見てきた。
「それ、おいしいよ」
本気で言っているのか、冗談で言っているのか掴みづらかったが、まだ半分寝ぼけていた私は「あ、ほんと?じゃあこれにしようかな。」と、なんの面白味もない平凡な回答をして、更にレーズンパンにも手を伸ばした。30%の値引きシールが貼ってある。少年は、涼やかな瞳はそのままに、口元に少しだけ悪戯な微笑みを浮かべて言った。
「それも、おいしいよ。」
「そうなの?」
「うん、食べたことないけどね。」やっぱり、冗談だったのだ。
「ていうか、学校行かないの?」「うん。これから行くところ。」「だめだよこんなとこで道草食ってたら。遅刻だよ。」「うん、わかった。行くよ。」「じゃ、またね。」
パンコーナーから動く様子のない少年を置いて、私はスーパーの奥へ進んだ。卵はやっぱり、高くて今日も買えない。陳列棚から牛乳だけ取って、私はレジへ向かった。
会計を終えると、先ほどパンコーナーで出会った少年が出迎えてくれた。
「買ったの?」
「うん、おすすめしてくれたパンと、牛乳買ったよ。」
「そっか」
「うん。おかげで、きっとおいしい朝ごはんだよ。」
「そうだよ。」
「っていうか、早く学校行きなって。」
「うん。行くよ。」
「うん、じゃあまたね。学校ふぁいと。」
「またね。」
出入り口まで見送ってくれたその少年はスーパーを出ることはせず、またパンコーナーへ戻っていった。
以前にもここに書いたことがあるような気がするが、私の弟は、手持ちの携帯やタブレットがWi-Fiにつながった途端、某巨大ショッピングサイトにアクセスして、必要もない、というか使い方も知らないような電気部品たちを大量注文してしまうきらいがある。その合計金額はゾッとするようなもので、ちょこちょこ母が彼のパソコンやメールなどをチェックしては、注文が発覚するとキャンセルしたり、キャンセルできないものはカスタマーサービスに電話してなんとか対応してもらったりしているのだが、何度母や私が、彼に説明したり、説教したり、ソーシャルワーカーに相談して土日以外はネットを使えないようにしてみたりして、本人も「わかった。もうやらない。」と言ったとしても、おんなじことを、何度も繰り返してしまう。
今回は、大量注文した物のほとんどはキャンセルできたものの、1品が既に発送されてしまっており、しかも住所がめちゃくちゃに書かれていたとかで自宅には届かず、どこかの配送センターに一旦預かりになっており、返送さえもできないという状態だった。その荷物も、一定の預かり期間を過ぎれば某巨大ショッピングサイトに返送され、自動キャンセルになるそうなのだが、
この件に関しては、もう母は万策尽きた、といった感じで、一刻も早く彼の某巨大ショッピングサイトのアカウントを停止したいと願っていた。しかし、カスタマーサービスの担当者に電話口でl細かい事情を説明したところ、「ご本人様でない限りアカウント停止はできない」と答えられたという。
(本人が電話口で、拙い日本語で「アカウントを削除してください」と言ったら対応してくれるのか、という疑問はさておき)
そうなると今は、ひとまず商品が無事返送されるのを待つしかない。そして返送され次第、彼のアカウントを削除して、それと紐づいた彼のgoogleアカウントも削除するしかない。
これらのアカウントだって、別に母や私が作ったわけではない。彼自身が、動画サイトで自分でやり方を調べて、作ったのだ。なぜ自分でアカウントを作って、電子機器を購入してしまうかって?「Wi-Fi」なるものを手に入れて、自分の好きな時間に、好きな友達や、遠方の家族、世界のいろんな人たちと繋がりたいからだ。では、なぜその環境を与えてやらないからって?インターネットリテラシーと彼の相性が良くないせいで、かつて彼が、個人情報や不適切な情報をどこそこ構わず書き込んだり、謎のセミナーや商品に、片っ端から登録・購入してしまったからだ。
私はパンコーナーの少年に手を振りながら、弟のことを思いだしていた。
ネット空間は身体を介さない。
とりあえず文字が読めれば(およそ)平等に誰でも情報を得ることができるし、
体が人目に晒されることがない分、誰かにジャッジされるような感覚は、日常生活より幾分減る。歩行困難があったとしても(あまり)不自由なくあちらの情報とこちらの情報を行き来できるし、そもそも、ネットの海に飛び込むのには、ヘルパーの手も、家族の手も必要としない。
弟にとっては、気楽で、自由な空間なのかもしれない。
Painted by Gene
一旦は落ち着いた弟のチックが、以前のよりも大きな声量と身体の動きを伴う形で復活した。更に、ストレスからなのか、「人に見られるのが嫌だ」と言って、家から一歩出てしまうと食事はおろか水も口にしない。そして、「よだれづわり」のように、本人の意思とは無関係に唾液が口から溢れてきてしまう。そういうわけで弟との外出はいろいろと気を揉むのだが、以前のバージョンのチックが記憶にあった私は、「大丈夫、君が気にしてるほど人は見て来ないから。」と気楽に構えていた。
だが、今回の外出はかなり「うんざり」な気分にさせられた。
弟にさせられたのではない。
見知らぬ人々に、だ。
弟の発する「音」や「声」が大きくて、驚いて振り向いてしまうのは仕方がない。
でもそのあとの、あの目。態度。行動。何度も何度も彼を蔑むように見たり、触れ合った服の袖を払ったり、わざわざ乗る車両を変えたり、振り返って彼を上から下までじろりと見たり。
そりゃ「人に見られるのが嫌だ」って言うだろうさ。
しかも憎たらしいのは、そういった軽薄な行動をとる人々というのは、ギリギリ「セーフ」なゾーンにとどまって、こちらに差別的な刃を向けてくるということ。
もう一歩危ないエリアに踏み込んでくれれば、こっちだって対話したり、言い返したり、なんならその喧嘩を買う用意だってあるのに。
自分が決して怪我をしない、安全な、常識を守った、「規格内」のところから、美しいスーツを着て「この社会の秩序を壊すやつは出ていけ」と無言の圧をかけてくる。
しかもこの日、そういう行動をしてきた人は偶然か必然か、皆50~60代程度の、小綺麗な身なりをした身長170~180㎝くらいの男性たちだった。
一体この、優しい顔した身長159㎝の青年が、あなたたちにどんな危害を加えると言うのだろうか?
そんなこんなで、弟を地元の駅に送り届けるまで、私の腸は煮えくりかえっていた。
「結局はこの世界がすべて「規格内」の人間によって、「規格内の人間しか存在しない」という思考によって作られているんじゃ!規格外の人間がどういうことに困るのかなんて、想像するという発想すらないんじゃ!差別っちゅーのは、そういう、悪意のない、「無知」によって、いつも作り出されているんじゃ!あたしゃ、そういう世界においてせめて、テーブルの上に「規格外」を乗っけるということを、演劇を通してやっていきたいんじゃ!」
私の頭は、ロケンローで満たされていた。そして私たちは、各駅停車に乗り換えた。
もう弟をこんな暴力的な眼差しに晒したくない!と、私は車両に入るなりすぐ扉の横に弟を立たせて、車両内の人々の目に晒されないよう、その前に立った。しかし、死角があった。彼の立っているところの向かい側、つまりもう一方の戸袋スポットだった。(戸袋の脇って安心するよね)
弟は、そちらをちらちら見ながら、笑みを浮かべていた。つられて私も見るとそこには、マスクをした真っ白な頭のおじいさんが、瞳をキラキラさせて弟に微笑みかけていた。
口元が隠れていても、そこには笑みが浮かんでいることが、はっきりとわかった。森の精霊かしら?と思うくらいそのお爺さんは混じりけのない笑顔で、弟を見ていた。何か会話しようとしているのでも、興味を持っているというわけでもなさそうだった。
ただ、瞳に星をいっぱい浮かべながら、笑顔で彼を見守っていた。
小さいころ、「男子の〇〇に意地悪された!」と言って親や教師に泣きつくと、
「それは〇〇くんがあなたのことを好きだからだよ。気にせず、無視しなさい。」と、不条理にいなされたことはないだろうか。私はそう言われる度「え、好きなのに意地悪するとか、頭おかしくない?」と憤慨していた。嬉しくもなんともなかった。だが、なんというか・・
このとき、私は幼い頃体験した、この不条理の謎が解けたような感覚になった。
つまり、対峙している相手のいる層(次元とでも言うべきか)は、人それぞれ全然違う、ということだ。
この日一日弟と外に出ることで、世界は私に東西南北さまざまな層を見せてくれたように思う。うんざりするほど「規格内」しか認めない人間もいれば、あの精霊のおじいさんのように、「規格」という思考すらとっぱらって、世界をあるがままに見て、コミュニケーションしてくれる人もいる。
障害は、「こちら」側にあるのではない。世界の「反応」と「成立の仕方」の問題である。
ロケンロー魂は大切だけど、私はこの、体に憎しみを溜め込ませるような、雑味たっぷりの層では生きるのはイヤだなあと思った。戦う時は、作品で戦う。わきまえなんて、もちろんしない。
でも日常で出会う、こちらを窒息させるような他者の眼差しには、「おあいにくさま。あなたはその層でしか世界を見られないのね」とさらっとかわすのが勝利、なのではないか?
居直ろう。なんなら、「この美しいブラザーは、こんなにイカしたシスターときょうだいなのよ」と、挑発的な視線を送ったっていい。いや、そんなことをしてやる労力も勿体無いかもしれない。私は、もっともっともっと愛のある、みずみずしいところを知っている。
「無視」は逃げだと思っていた。戦う勇気のないときに取る、唯一の護身術だと思っていた。
だけど違う。自分たちがもっともっと豊かなところにいるということを、識るということだ。
「無視する」「何も言わない」「相手にしない」
それは華々しき王手、壮麗なVサイン、華麗なるチェックメイトだ。
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