なんのジンクスか知らないが、自分が台本なり演出なり、船頭の役割を担っている時期は
なぜか毎度家族に体調不良者がでる。
母娘の関係を描いた一度目は、母ががんの再発で入院。
おばあちゃんのお葬式が重要なモチーフになった二度目は母方の祖母が危篤に。
日米関係も重要な要素の一つである三度目の今回は、父方の祖母のがんが全身に転移し重態だという。
本番が終わったらすぐ会いに行くべく航空券を手配しようとしたら、
コロナ禍以来閉じたままだったパスポートの期限は年明けに切れており、慌てて申請に。
窓口の方が私の古いパスポートをペラペラめくりながら「こちらの失効したパスポートは穴を開けますが、まだ有効のビザはないですか?」と、ビザ面を見せてくれた。
「ないです」と答えながらも、私は彼女の見せてくれたページたちに貼り付けられたビザや、押されたスタンプの色の鮮やかさに吃驚した!
そうだった、この10年、私は様々な土地へ旅させてもらったのだった。
もちろん、海外と行き来するような仕事をする方からすれば、ちっとも大したことない数だとは思うが、一つ一つの土地での体験は非常に色濃く、すべて今の私を形成する要素だ。
セルビアでのテンペストの上演、
コメディ・フランセーズで見たElectra/Orestes、
モザンビークで出会った若者たちや象たち、
南アフリカの国境フェンスで見た穴、
ロッテルダム国際映画祭に、監督と深夜に半分寝ながら見たノイズ系バンドのライブ、
シビゥで観た世界中の演劇、
シャウビューネの当日券列に並びながら大好きな人たちとだらだら喋っていたこと、
そこに来た劇場付きの俳優はあくまで日常の中の「営み」として演劇をしており、
何をかっこつけるでもなく、ただそこにいる並びの客たちと世間話をし、そのまま保育所の子どもを迎えに自転車で去って行ったこと。
私たちは関係性の「点」である。
固有のアイデンティティなぞという概念ははなはだ怪しいものであって、私たちは他者によって何百万通りもの「私」を規定され、そのすべてを同時に揺らぎながら生きるプリズム体である。(何)(ニーチェがそんなことを言っていたような)
そしてまた、そのことを体感を通して教えてくれるのは、やはり世界の色んな場所を旅することであったり、色んな次元を生きさせてくれる演劇という体験なのだ。
ちくしょう、と思う。
今航空券の値段は、みんながよく知っている事情で異常に高い。
なぜもっと頻繁に会いにいかなかったのか。
なぜもっと頻繁に感謝を伝えなかったのか。
なぜもっと英語を勉強して、彼女の人生の話を聞いてこなかったのか。
だが、とも思う。
やっぱり、出来事というのは私自身に受け止める度量がないときにはやってこないし、
受け止めるべきときにこそやってくるのだ。
後悔をできるというのもやっぱり、それだけ自分の視界が開けてきたということだと。
今私にできる一番の看病は、作品をつくりあげることだろう。
心血注いで、この作品、この物語に向き合うという、その純粋なエネルギーこそ、
最大の癒しの力となって祖母にも、或いはいろんなところですれ違ったすべての大切な人たちにも、蝶の羽が一つ、ひらめくように届くだろう。